2016/07/10

経営論連載Vol.3 - Coinの失敗事例に学ぶ、ビジネス論文の使い方

わりとセオリー通りに見えるんだけれど


クレジットカード、デビットカード、ポイントカードなど複数のカードを1枚にまとめられる製品として
大きな話題を集めたCoin。
出典:Coin社Webサイト Press kit より

2013年11月、ある起業家がCoinというクラウドファンディングプロジェクトを立ち上げました。Yコンビネーター(シリコンバレーでは有名な、最近は日本でも有名なベンチャーキャピタル兼インキュベーション組織)を含む多数の投資家から資金を集め、かつクラウドファンディングプロジェクトでは350,000オーダー、1700万ドル (日本円で約20億円!)もの資金を集めたとされています(出典:recodeの記事内で350,000オーダーが集められたと語られており、当時プレオーダーは1件$50だった)。


しかしながら、現在同社はフィットネストラッカーのFitbit社に買収され、かつ現行製品であるCoin 2.0は売り切れ。さらに後継製品の開発は行わないと明言されているため、これは明確に「失敗」です。


アイデア、プロトタイプ、テスト、製品化。

豊富な資金、成功請負インキュベーター。


経営論連載の最終回は、典型的なシリコンバレーの成功要件を備えているように見えるこのCoinプロジェクトの失敗例を紐解きつつ、デザイン思考のような「ビジネス的な考え方」「方法論」の使い方に踏み込んでみようと思います。

他の連載は以下からどうぞ。

なお本稿の執筆にあたり、サンフランシスコと東京を拠点とするブランド&マーケティングエージェンシー Btrax のCEO、Brandon Hill氏のブログから着想を得ました。ここにお礼申し上げます。


Coin社が失敗した理由


同社の失敗理由は様々語られていますが(前述のBrandonのブログが分かりやすいです)、私は「品質の低さ」が最大の要因だったと思います。

本稿の執筆にあたって英語のCoinレビューを数件読みました。いずれも、クレジットカード端末がCoinを認識せず、それで支払えなかった体験を深刻な問題として指摘しています。

Coinは、クレジットカードなどにあるいわゆる磁気ストライプの情報をスマートフォンで読み取り、Coin本体に登録。ユーザーがどのカードを選ぶかによって、Coin自身の磁気ストライプの情報を書き換えます。

この磁気ストライプ書き換えが、どうやら安定しなかった模様。カードを読み取っても認識しないケースが多数報告されていました。


でも、ちょっと待ってください。シリコンバレー的には「クイックに失敗し、すぐに学んで作り直す」ことが良しとされています。
まず作ってみる。デザイン思考の中でもそれが説かれています。


デザイン思考の5つのプロセス


ではなぜ、Coinの失敗は成功の母になれなかったのでしょうか?



失敗することに失敗した


これは私の推論ですが、端的に言うと「Coinは失敗することに失敗した」のだと思います。
後戻りできないところまで言ってからの失敗は、クイックな失敗とは言えません。

Recodeの記事に、Coin社CEOであるKanishk Parashar氏への電話インタビューがありましたので引用します。和訳は私によるものです。

“A big part of doing mass production is stabilizing each unit so it performs as well as we want. When you build tens of thousands, you get some variability,” he said. “With us, you’re holding the thinnest wearable ever made so it kind of tests limits of those tolerances. Over time, as we figure things out, we’ll make that variability smaller and smaller.”

「ひとつひとつの製品を望むとおりに稼働させるべく、製品を安定させることが量産段階における大きな課題でした。何万個も製造すれば、多少のバラツキは出てきてしまいます。我々の製品はかつてないほど薄く作られているためちょっとしたことでもうまく動作しません。こうしたことが分かってくるにつれて、バラツキをどんどん小さくしていけると思っています」

He said the company was making hardware updates at least every two months, which means customers who received their card first may have a card that doesn’t work quite as well as those in the back of the line. The company is producing about 10,000 cards a week.

彼は、2ケ月に1回はハードウェアに修正をかけていると言っていました。それはつまり、Coinを一番最初に受け取った人は、もっと後に受け取った人ほどは上手く動作しない可能性があるということです。Coin社は、週に1万枚のカードを製造しています。

As for the bum card reader, Parashar believes “issues will subside as we improve the UX on how to use it.” He said a user interface upgrade was coming sometime this month.

Coinを認識しないクレジットカードリーダーについては、Parasharは「Coinの使い方を改善すれば、その問題は沈静化すると考えています」と語り、間もなくCoinのUIが変更になると語りました。

What’s clear beyond my experience is that the demand for Coin overwhelmed the startup. The company had been planning for tens of thousands of orders, Parashar says. Instead, the company has received around 350,000. That meant the initial plan to manufacture the cards in a facility in the U.S. went out the window when it was clear the volume that plant could produce would not be enough. That was an unexpected complication and a big reason for the year-long delay on shipping.

私の知る限りにおいて一つ明確に言えることは、Coinに対しての需要がベンチャー企業に対しては高すぎたと言えるでしょう。Coin社は数万個の受注を想定していましたが、一方で受注は何と約35万個。これはつまり、米国で想定していたCoinの製造設備の能力を超えていて、別の方法を探さなければならないことを意味します。これは想定外で、1年以上にもわたって出荷を遅らせる要因となりました。

What’s not clear is why Coin kept accepting preorders when it was clear they were already unable to keep up. I asked Parashar this in a phone interview and there was a long pause on the other end of the line before he answered.

では、なぜCoin社は自社の能力を超えるオーダーを受け付けてしまったのでしょうか?私はこの質問を電話インタビューの中でParasharに聞いたところ、彼は電話の向こうで長い沈黙の後にこう語りました。

“That’s going back and trying to have 20/20 hindsight,” he said, finally. “That’s a hard one to answer.”

「振り返ってみれば、当然のことかもしれないが…いや、難しい質問です」

“It’s been way, way harder than we imagined,” he added.

さらに、彼はこう付け加えました。「我々が想定していたより、ずっと…ずっと難しかった」


このインタビューから、好調なプレオーダー受注に気を良くし、資金さえあれば製造は何とかなる…という気の緩みがあったように私には思えます。確かに後から言うことはたやすいけれども、きっとParasherはその時、上手く行く未来しか見えていなかったのではないでしょうか。いや完全な憶測ですが。


たられば論にあまり意味はありませんが、仮にプレオーダーをキャパ一杯の100,000に絞っていたら?
かつ、先行数千人の「リテラシーの高い」テストユーザーに先行配布し、資金に余裕があるうちに生産ラインの方針転換を判断出来ていたら?


これが私が「失敗することに失敗した」と感じる理由です。


私が少額支援しているZNAPSは、プロトタイプをごく限られた(1000人程度の)支援者に使わせ、その結果品質が十分に出ていないことを悟り、作り直しのプロセスに入っています。
(私が2016年3月にブログ記事にしています)


シリコンバレー的な成功の方程式に乗っていても、デザイン思考的な考え方に基づいた事業開発をしていても、失敗するときは失敗する。それらのセオリー通りにやったとて、成功は保証されていないのがビジネスというものなんだろう、と思います。


つまり、私がここで言いたいのは…


本連載のキッカケを作ってくれた、あるコンサルタントは現在米国の大学に留学中で、間もなく論文をまとめようとされています。私も昔、ビジネススクールの教授が書いた論文はいくつか読みました。

しかし、ビジネス論文に関しては、実際に事業を行う中でその実用性を感じることはあまりありません。むしろ、そうした考え方は「そのまま使っても意味がない」とさえ感じます。デザイン思考のような便利な考え方でさえ、実務にはさほど役に立たない。


一方で、ビジネス論文にあるような「考え方」を知っているのと知らないのとでは、失敗の確率が大きく違うとは思います。


例えば、プロトタイプの重要性を理解していないプロジェクトリーダーの元でいくらプロトタイプの重要性を説いても、時間ばかりかかってしまう。しかし、プロトタイプの重要性を全員が分かっているチームでは、おそらくデザイン思考の考え方は受け入れられ、「プロジェクトの進め方に関する議論」という、やや非生産的なことに時間を使ってしまうことはないでしょう。


ビジネス論文を読み、学ぶことそのものが無駄だと言う意図はありません。しかし、それを学んだとて、使い方を誤ってはならないな、と感じる次第です。

例えばチーム内の共通認識を作るために、みんなで学んだり。

類似の事例の失敗事例を扱った論文を読んでおくことで、自らの仕事への戒めとしたり。


そういった使い方をしなければならないのだろうな、と、ビジネス論文について感じた次第であります。